第3病棟でつかまえて

わたしがホールデンで、先生が捕手をするの。

食べていません。自殺をしているところです。

 

ここからは簡単だ。だって日記帳に記録をつけていたからね。もう記憶だけを頼りに闘病記を書くことはなくなった。

 

2022年 3月 1日(火) 入院二日目

 

師長に血を抜かれる安心感たるや。(採血をされた)朝の5:30だった。前回入院した時も、朝っぱら突然起こされて血を抜かれたなあ。

わたしはいつも看護師を悩ませる血管の細さを持ち合わせているが、師長が「いい血管が見つかった」と左腕に教えてくれた。しかし、全然血が出てこないと言われた。「圧がないんだろうな」と言うんだ。たしかに、高血圧か低血圧かといわれれば、かなり低血圧だと思う。なるほど、血圧って採血の勢いにも関わってくんのか。結局右の手の甲からも血を抜いてもらった。もう注射なら何べんでも刺してもらって構わないので、焦らずゆっくりわたしの血を抜いてください。看護師を慌てふためかせ、泣かせるのはいつものことだ。

 

倫先生が来てくれた。薬剤師の田中倫子さん。実は同姓同名の上司が職場にいてね。それで、昨日の診察室で「薬剤師の田中さんエチゾラム持ってきてぇ」と泣き喚いていたわけである。

その噂を聞いてご本人が駆けつけてくださったわけだ。ただの薬剤説明に来てくれただけなのだが、「名前覚えててくれててうれしい」と喜ばれた。うちの職場にも田中リンコがいるんですということを話した。そしてわたしは「うちの田中リンコさんはリン先生と呼ばれているので、よかったら同じく倫先生と呼ばせていただいても……」となり、今回この薬剤師さんとかなりお近づきになれてのがよかった。わたしは、この時はまだはるきゅんが送ってきた刺客だと思っていたけど。別にそう言うわけでもないらしい。倫先生直々に、だ。午前中少し顔を合わせて話をしたら「また午後に会いにくるからね」と言ってた部屋を去った。昼食を食べ終えたらまた倫先生は来てくださって、薬局は暇なのかなんなのか知らないけど。一時間近く世間話をした。

世間話もあれば、薬に関することを話したりもしたし。それも深く、わたしはいつもどのようにして薬を飲んでいるか(つまり過量服薬)どうかを説明してしまったり、医者に報告してないことも倫先生には喋れた。取材には伝えるタイミングがなかっただけで。倫先生にはもちろん「ここで聞いたことは春川先生にそのままお話ししてもいいです」と情報開示の許可も出した。

「わたしはサラ・コナーをやめます」と宣言した。

昨日からずっとサラ・コナーのたとえを気に入ってる。主治医の前でも披露したし。いい子ちゃんをやめたわたしを、病院はどう扱っていくんだろう、って。

 

OCTっていうんですか?市販薬のこと。

 

それから自分の身の上も話したな。わたしがこうなったのは、たぶん機能不全家族に育ったせいだから、そのことを詳しく話してたら、小さな子どもが父親と母親との間を取り持つために翻弄していたというわたしのエピソードに、倫先生は涙しながら聞いてくれていた。わたしの話を聞いて泣いてくれた人ははじめてだ。倫先生が泣いているのを見て、これまでのつらさを受容してくれる人がここにいたんだ、って安心してわたしも泣き始めた。

 

わたしはますますヒートして、自分の深い部分を話し始めた。

別ブログには散々悪口を書いた『はるきゅん♡JK患者』の問題である。わたしの診察時間なのに、いつも別の患者の話題で持ちきりで、なんだか先生はわたしを通して、JKである彼女を見つめて治療してるんだ、って。

 

 

 

ここからがみなさんお待ちかねのこのコーナーです。

 

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第3病棟ちゃんのまた自殺に失敗しちゃいましたよのコーナーです。なんと評判のこちら、もう四度目の未遂失敗を明かしております。

どうしてわたしがこうなってしまったかの一部始終をここに記しましょう。

 

わたしは、微睡んでいたのかも。この日はずっと幻聴がしていた。

わたしがついに参ったと感じた幻聴は次のようなものだった。

わたしは目が開かなかった。なんとなく病室にいるのも感じてる、この目の開かない感じは。幽体離脱しそうになって金縛りにあっている時と一緒だ。視界が明瞭じゃないんだ。

目が見えないから、気配に感じるしかないけど。わたしの右の枕元に父がいた。椅子に座っていて、わたしの見舞いに来たようで努めてフランクに挨拶をしてきた。

「この二人は誰でしょう、特別ゲストを連れてきた」

父の声の後に続いてガヤガヤと喋る二つの声。

「そのデブの声は井上さんで、その声はどう聞いてもハシケンでしょ」

父ともうずっと何十年と交流がある先輩と後輩だった。幼い頃は父の娘だというだけでよく可愛がってもらった。思わぬメンツだった。末期癌でもないのに意外な人物がサプライズで病室にやってくる。

わたしはパチリと目を開けた。枕元には父も井上さんもハシケンもいなかった。

病室には、わたしひとりしかいなかった。

 

暗い病室。

わたしが望んだことだった。

蛍光灯が昼間についていると視界が眩しすぎて心が休まらないから、日光の光がある間は消灯して欲しいと頼んだんだよ。

扉の窓から差し込んでくる廊下の明かりで、夜も十分に生活できる。

わたしは焦った。ああ、また幻聴が来ちゃった。もう、これは参った。わたしの負けだと思った。

こんなことが続いてたんだよね。具体的に何が聞こえたかは忘れてしまったけど。

幻聴が聞こえてね、わたしずっとひとりで、その幻聴とペラペラおしゃべりしているの。

 

わたしはナースコールを押した。

現れたのは、サバサバしているタイプの看護師さんだった。

「幻聴がすごくて参ってしまって」不穏なことを伝えた。ここで一言でもいいから、不安だったね、って言って欲しかった。そしたらわたしは、首なんか吊らなかったかもしれない。

吉津看護師は「頓服飲む?」と扉の外から訊いてきた。わたしは首を振った。

「わたしは統合失調症じゃありません。幻聴なんて初めてです。頓服飲んでも幻聴は止まりません」

看護師さんは「話聞いてあげたいけどごめんね、いまから夕食誘導で今忙しいんよ。夜の薬を早く飲んだりしてもいいけど、どう?」

一度は断って一人にしてもらった。

看護師さんに相談しても不安を受け止めてもらえなかったというショックから、さらにわたしの不安は深くなっていった。

 

もう一度ナースコールを鳴らす。またもやってきたのは吉津看護師だった。「やっぱり頓服ください」と言った。

看護師は「頓服と夜のお薬一緒の入ってるから、夕食分先に飲もうかね」と言われた。

「ごめんね、お腹空いたら患者さんを待たせるわけにはいかないからね」そう言って吉津看護師はさっさとわたしの前から消え失せてしまった。わたしは、『忙しい』という言葉に過剰反応してしまったことと、わたしひとりの不穏と患者のみなさまの空腹を天秤にかけ、わたしの優先順位が(当たり前だが)下がってしまったことについてよけいに困惑した。

頓服がわりに夕食後薬を早めに飲んだが、それでも悲しみ、癇癪が治ることはなかった。

 

もう一度看護師さんが来たら、本当に不安なんだと訴えようと思ったのに。トイレに篭っている間に夕食が部屋に配膳されてしまったようだ。

 

トイレから出た。トイレに行ったのは、これから自殺を決行するためでもあった。

スケッチブックに遺書を書いた。

ブタのぬいぐるみ、妹が同じ空間にいるのは嫌だった。わたしが彼女をPTSDにしちゃったかもしれない。

わたしは部屋にあるタオル掛けのようなところにバスタオルを結び、その輪の内側から首を突っ込んだ。タオル掛けにしてはずいぶん高い位置に存在しているが、とはいえ足は着く。わたしは少しずつ自分の膝を曲げて、タオルに自分の体重をかけていった。涙と鼻水で顔がぐしゅぐしゅなのと、苦しすぎて思わずグエーとかグオーとかいう声が漏れ出てしまうのだが、上手く声帯を潰しているようで、自分のものとも思えぬほどに野太い、孤高の化け物みたいな切ない鳴き声が出る。

酸素が急に失われていく感覚や、立ちくらみの感じ、特に最後に強く失神しそうだと感じた時には、目の前には黄金のモヤが見えかかり、三人の菩薩が視界に並んでわたしを待ち構えていた。この後、もちろんこの自殺未遂がバレて部屋に持ち込めるものがほぼ書籍のみとなってしまい、聖書しか残らなくなっちまうのだが、ああやっぱりわたしは生まれが仏教徒だから、仏教の世界に行くんだね、って思ったよ。しかしね、気絶なんてわたしは人生で一度もしたことがなくて、なんだかすごく怖いことのように感じたんだ意識を失ってしまうことがね。それで何度も足に力を入れ直して体重の預け具合を調節しながら、徐々に徐々に首に体重を乗せていった。

しかし、次の瞬間には自分が病室の床の上にぶち転がっててびっくりした。わたしは「なんで生きてるの」って泣いた。首を引っ掛けてたタオル掛けがわたしの重さに耐えかねて折れたらしかった。

しばらくそのままなるようにして倒れていたが、また自殺をやってやるぞ、という気持ちになった。

立ち上がったわたしはもう一方のまだ残っているタオル掛けに手をかけて、焦って自分の首を引っ掛けた。結び目が不十分で上手く体重が乗らない。

 

そうこうしていると食事を運んできてくださった吉津看護師が「ご飯食べた?」と部屋に入ってきた。

「食べていません。自殺しているところです」とわたしは答えた。

 

「自殺とかせんで」デッケー声で吉津看護師は行った。タオルを身包み剥がされる。ベッドに連れて行かれて座らされた。

「もうそういうことする人には物置いとけないからね。わかってるよね?」

怒った。吉津看護師は怒った。わたしの心の中で何が怒ったのかも知らないで。

あなたの『忙しい』って言葉とセカセカとした態度から、わたしはモーレツに、忙しい時間にお手間を取らせてしまった申し訳なさと前回の入院で漠然と感じていた「わたしはここでケアを受けてはいけない」というある種の妄想的な被害妄想が、ついに現実になった。わたしはここにいてはいけない、邪魔だし、わたしはここでケアも受けられない。誰も「何を聞いたの、どうしたの」って誰も尋ねちゃくれない。

 

「もうそんな人の部屋には電気もつけます。自殺とかする人には怒る」とその人は大きな声で言ったんだ。ああ、わたしは女のでっかい声が、苦手だったんだなあ。

鬱の時、吉津看護師の言動はわたしの自己肯定感を自然と削っていくよ。彼女の言葉は紙やすりだ。

 

「夕食はどうするの?」と尋ねてくる吉津さんにわたしは「食べる気分じゃありません!」と金切声で返していた。

わたしは、その後病室でひとりにされた。ほっといてくれるんだ。

でもわたしの癇癪は治らなくて、ベッドの上に頭を叩きつけて、自閉症の子どもの自傷みたいなことをしていた。そしたらそれも吉津看護師が部屋に飛び込んできて「ドンドンするのやめなさい頭打ちつけるの」と怒ってきた。

 

次に吉津看護師がわたしの部屋に訪れた時には、男性の三根看護師を連れていた。

わたしが暴れ狂うとでも思っていたのか。

吉津さんは言った。「当直の先生にもね、興奮が止まらないって様子をお話ししたらね、鎮静する注射打ったったほうがいいかもって」

三根さんはその背後で「楽になるからね〜」みたいなことを言って和ませようとしている。

「お尻と腕どっちがいい?筋肉注射だからお尻の方が痛くないと思うけど」吉津看護師が問う。

「腕がいいです。お尻は汚れてると思うので」

「わかったわかった、生理だもんね」

なんで筋肉注射如きで痛みにビビって尻出さなきゃならんのだ。

「痛くて構わないんです」

痛い方がもっと良い。

「腕でいいんです、痛くても楽になるなら、その方がいい」

わたしはまだ癇癪が止まらずに泣きながらお願いした。とにかく心の苦しさをなんとか落ち着けて欲しかった。

左の腕に注射をされた。あれが一体なんという注射なのか、知りたいけどみんな頑なに商品名は言わない。

 

 

わたしはその後、しばらくしてすぐに眠りに落ちた。