第3病棟でつかまえて

わたしがホールデンで、先生が捕手をするの。

病食のちらし寿司でひなまつりの訪れを知る

 

2022年 3月 3日(木) 入院四日目

 

昼にも一度癇癪来て早めに昼食後のエチゾラムをもらった。

また昼食の忙しい時に癇癪の波が来て看護師さんにヘルプを出すことになったので、余計に情緒がギャーギャーときた。

道具がないから誰かに首締めて欲しいって思ったの。自分の首元に自分の手を掛けてみて、もう誰も何もタオルもわたしを殺してはくれないんだ、と思ったら恐ろしくなったんだ。

 

黒木さんが「部屋の電気消そうか?」と言ってきた。でもでも、昨日の騒動でわたしは消灯時間までは消灯禁止に(とはいえみんな点灯されてるんだけどね。ふつうは。わたしが快適じゃないから、貸してくれってお願いをしていただけであって)なったんじゃないか、って思った。ここで黙って電気つけてもらってもよかったけど、ナースの黒木ちゃんはダサい伊達みたいなフレームのメガネも掛けこなしていて、第3病棟のナースの中では一番ルックスが好きだ。わたしはね。だから、あんまり黒木さんの過失にしたくなかったわけだ。電気を消していただけることを。それで正直に伝えた。「電気は消させてもらえないって昨日言われたんですけど」

黒木ちゃんはちゃんと他の看護師さんに確認してくれたみたいでわたしの部屋に戻ってきた。申し訳なさそうに、てへぺろってな感じで「だめやったみたい。ごめんね」と言った。黒木ちゃんから言われたら、何も嫌な感じがしない。

すべて、昨日のわたしのせい。

 

師長が春川先生と会えるのは明日だって言うからまた癇癪きてエチゾラム1mg飲んだ。

今まで「死にたい」をODや自傷で発散してたし、そうなる前に音楽聴いたり映画見たり気を逸らして誤魔化してたんだ。その術を(道具もな)奪われた今、わたしはひどい癇癪に、日に何度も襲われている。

わたしは壁に頭を叩きつけ、申し訳程度のたんこぶを作った。痛いだけで、こぶにもアザにもならなかった。300回数えて、容赦なしに壁に額を打ちつけたけど、それでも自分を傷つけてやったという満足感を得られず「これ以上やっても無駄だ」という思いの方が先に来てしまった。

 

こんなに願っても春川先生には会えないのがつらくって癇癪起こして、ついには呼んでもらったよ。

ナースコールを押して、先生に会いたいのに会いに来てくれない。昨日自殺未遂までしたのに、つらくて顔が見たいのに、師長には明日しか会えない(つまり、もう以後今日中期待するなという意味だ)と言われてしまうし。「今日春川先生当直なさる日ですよね?先生と話したいです」と言って泣いた。

自殺するほどしんどいのに、「わたしは見放されたんだ〜〜〜〜!!!!」とギャンギャン典子さん(親戚のノリコのお母さんに雰囲気似てるな〜と思ったらご本人の名がノリコさんだったのだ)に言った。典子さんはベッドの横の椅子に座ってわたしの泣き喚きを聞いていた。わたしの腕を撫でながら「頼んではみるけど、無理かもしれない。今はね、コロナでこの病棟は回らないのよ(前回の入院の時は回っていた様子だったが、わたしが退院している間に入院患者にコロナ感染者が出たらしく、あとあとから知るが、1年前とはまた違うコロナ対策をしていた)」「春川先生が来られなかったら、その時はお話聞くの、看護師さんでもいーい?」

わたしは親戚に似ているというだけで典子さんには信頼感を一年前から抱いているので「もちろん。先生がダメなら典子さんでいいです」と言った。

春川先生呼んでくれた。LOVE♡

 

図らずも派遣されてしまいわたしの病室を訪れた春川先生の内心はきっと「やれやれ」だっただろうな。

典子さんはわたしにはやさしく声をかけてくれたよ。でもね、先生を呼ぶ時には、どうにも手がつけられないんでなんとか来てはくれまいかというような具合だったらしい。

「行こうかな、とも思ったよ。昨日のことも、注射されたことも、全部聞いとる」

わたしは心底驚いた。情報が先生の元に届いていないから、会えないんだと。わざわざ会いに来てくれないんだと思ってた。

「でも知った上で来なかった。心理的に依存しすぎないように、会いすぎないようにね(先日渡したラブレターに、入院期間中はとにかく先生のことで頭がいっぱい(好きすぎて夢中という意味もなきにしもあらずだけど、純粋に文字通りの意味で)だったと書いちゃったからね)。僕も心を鬼にしてたんだけどね」と少し呆れたニュアンスをさせながら言った。

 

「もう伝えとこうかな、と思うんだけど。来年も僕が診ます」

来年も続行だって♡よかった〜〜〜〜!

そう、大好きな主治医はるきゅんとの離別が苦しすぎて、それがきっかけで今回はコロコロと体調を崩してどん底に落ちていった。不安要素が一つ、減った。

この喜ばしき発表をするタイミングを、先生は結構慎重にしていた様子であるというのが、退院後父と話したときにわかった。

 

 

 

この日、実は父は家族面接という形で外来に訪れていたそうだ。

父はここで「状態が良くなるまで出さないでくれ」と頼んだことをわたしの前で堂々と宣言していた。入院したいって相談したときには「入院はしてほしくない」と言っていたのに。なんてこったい。

父はここで先生に、自分が長期出張に行くという話を明かしたそうだ。それについて主治医は「お父さんも失って、僕(医者)もいなくなって」で散々だったろうとわたしに言った。いやあ、父の転勤には慣れっこですし、なんなら転勤してくれた方が良かった。なんて考えてしまうわたしは、悪い娘である。

来年も続投であることについて「娘さんにもうお話ししてもいいでしょうか」と謎の質問をしてきたという春川先生。そんなもん、一秒でも早くはるきゅんロスなら打ち震えるわたしに教えてやってくれ。

 

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