第3病棟でつかまえて

わたしがホールデンで、先生が捕手をするの。

死んでもいいから苦しみをなんとかして

おひさま病院に着き、扉が開いたらそこには主治医と、看護師の林田さんが車椅子を準備して待機していた。

歩けますか?という救急隊の問いに「歩きたくないです」と首を振ったら、次の瞬間には車椅子の上に座らされていた。車椅子に乗ったのは生まれて初めてだ。ということを想起する間もなくわたしは診察室に運ばれていた。いつも受付看護師で世話になっている林田さんに車椅子を押されながら。

わたしはずっと喚いていた。

「応援呼ぶなら、由美さんがいいです、親の友人なので。あと川島さん、緒方さんもわたし知ってます」なぜだか。覚えのある看護師の名前を列挙してここに呼びたがった。この後何か応急処置を受けると思っていたのに。これ以降看護師がこの場に来ることはなかったのだが、わたしはこの先しばらく院内で手隙の看護師探しが起こっているのではと想像していた。

医者が「過呼吸だね」と言われた。で、ずっと放っておかれた。わたしの隣でただただずっと喋っているだけの主治医。

主治医に「過呼吸はね、あと3〜40分続くよ」と言われ何もできる処置はないと言われたのだ。

「なんか注射みたいなのもしてもらえないですか?眠らせる注射」

「ちょっと無理だねえ」

「じゃあ!エチゾラム!!エチゾラム10錠くださればわたし、気絶、できるって。知ってるんで。それで眠らせてください。観望するかも、しれないけど」

その言葉を聞いて主治医がエチゾラムを持ってくるように伝えた。エチゾラムはこの一年世話になった馴染みの薬だ。みな喉から手が出るほどデパスの処方箋を欲していると思うが、わたしはこれのありがたみがよくわかっていない。のは、たまたまキングオブベンゾを転院一発目で引き当てたからなのか。

しかしこの白い錠剤を、わたしははじめて見た。数字の『1』が刻まれている。わたしが病棟でもらっていたのは終始0.5と印字してあったもの。いつもと倍量のエチゾラムを飲まされた。これだと、5錠で気絶できる寸法だ。

 

「どうぞ、先生続けて」

わたしは主治医にトークの続行を願った。なんの他愛もない話で、気が紛れるので「苦しい」という状態からしばし目を背けていられる。

そうこうしたり、突然弟に病室での会話の録音を頼もうとするなどをしていたが、話題は『入院するか?』ということになった。

そう、わたしは、元はと言えば今日ここに「入院するかしないかの相談をしたい」から来ようと考えていたのであった。

入院したいのは、このまま娑婆にいたら自殺に走ってしまいそうだったから。たぶん、それを止めて欲しかったんだね。

しかしながら、入院したくないのにもそれ相応の理由があって、週に2回しかお風呂に入れてもらえなかったり、トイレが汚いとか、嫌いな患者がいるとかでとにかく、またあそこに戻るのかと思うとほんとうに無理だった。

ので、なんか折り合いつくところでつくなら入院、そうでないなら自宅療養頑張ってって背中押して欲しかったのだ。

しかしうまく喋られないから、今日の診察室で述べようと思っていたいろいろな要求、それを列挙するということを忘れてしまった。

とりあえず今日のところは入院するけど、その後をどうすべきか……?わたしはしばらく粘っていたけどなんとなく折れてしまった。医者に何度も確認したが、救急車で運ばれてきてもわたしに「入院したいです」という意思表示があるなら任意入院だ、これは任意入院だと医者が暗示をかけるように言うので「入院します」と言った。

 

そうとなれば、病院から家族に連絡がいく。しかし、うちの親は、特に母のほうが。騒ぎ出して病院に問い合わせてきたら慌てて病院にわたしを連れ去りにきたりしないかと思って、自分から診察室で電話した。

でも自分一人じゃ救急車に運ばれておひさま病院に搬送されて今から入院になったなんて親に話すのが恐ろしくて、先生に間に入ってくれと頼み込んだ。

携帯には出なかったから職場の番号にかけた。職場の番号なんか知らないからグーグルで検索したら出てきた。繋がった電話に出た人は、よく知っている名を名乗った。いつも母が仕事の時のエピソードを面白おかしく話して聴かせてくれるかの古本さんではないか!

「こんにちは、わたくしそちらに勤めております三郎丸の娘です」と言うと

「棟子ちゃん?!」と古本さんが言うので

「そうです。いつも話に聞いております。密かにファンです」などと呼吸が苦しい中世間話をしつつも、母に電話を繋いでもらった。

このように、すぐ親の職場の人に取り次いでもらおう、と考えられるのは、病児にはすぐ保護者に電話をかけてお迎えの要請をするからである。わたしも何度か電話をかけなきゃならないことがあって、いかに的確な範疇内で症状を大袈裟に伝えられるか、思考を巡らせていた。だってあんな事務室の隅を囲っただけの医務室に寝かしつけておくよりもおうちに帰ってゆっくり休んでほしいから。

母が電話口に出た。早々に先生にバトンタッチして、状況を話してもらった。

話を聞かされた母は思ったよりも落ち着いていて、でも「びっくりした」「心臓が止まるかと」などと言った。救急車で精神病院なんて。自殺未遂に失敗して通報されたんだと思うに他ない。

母が一時間もしないうちにこちらに着けるというので、診察室の前の待機室でベッドに寝かせてもらい、仰向けになっていた。しばらくしていると母がやってきた。

「さっき春川ちゃんと会ったよ」と言う。「からあげ食べてた」

かわいそうに。ランチに遅れたのは誰のせい?

「もうびっくりしたよ」と母はわたしにお茶をくれた。そういえば、喉が渇いていたかもしれない。入院をすると言うと、当座に必要な着替えや物品などひとしきり母が自身で揃えて、持ってきてくれた。

わたしより必要だったものを覚えているな。『入院時に必要なもの』と言う表を見なくても、母はおおよその道具をほぼ揃えてくれた。惜しいのは時計ひとつくらいだ。これがまた今回の闘病生活で波乱を生む物体なのだが。

携帯をゆっくり扱う時間を与えられず。近くの予定を断ったり、職場に電話してみたり。母と長く話すフリして携帯を触らせてもらっている。

なんでこうも毎回大騒ぎして入院しちゃうんだろ。

 

このあとわたしは母と別れ病棟に挙げられてその日の夜を過ごした。布団の上で、まだ身体はきついなあと思いつつも特になんの問題もなく過ごせたのだと思う。だってもう、何も覚えていないから。

あ、スタッフさんにわたしのこと覚えてくれてる人がいたらちょっとおしゃべりしたいなみたいな、そんな感じ。